Twitterにて、はちのすさんの投稿に考えさせられました。
ドット絵自体のグラフィックの情報量は少ないのは、周知の事実ではありますが、それを見た人間への情報量は逆に増えるということです。
例えば、ドットのジャギーな所は、人間側で補完されるため、「複雑さ」というニュアンスで情報が多くなるということです。
なので、「自分のドット絵での表現」と「プレイヤーの情報量を抑える」の落とし所が大切になります。
ドット絵でも、解像度が高く色数が増えても、わかりにくい絵になってしまいますし、その さじ加減が肝となると。
そう思うと、ファミコン、MSX、C64などのハードウェアの制限でのグラフィックは、ある意味「的を射ている」のではないでしょうか?
そんな「足るを知る」事を考えつつ、ゲーム制作をするのでした。
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